大祓(おおはらえ)は六月と十二月に罪穢を祓い清める神事です。神社において、六月末日と十二月末日の年二回、大祓を行います。
神道では、人は本来きれいな心をもっていると考え、生活している間に、知らず知らずにその心もくもり、罪を犯し、穢にふれて、きれいな心から遠くなって行くのを、祓いによって、本来の心に帰ると教えるのです。
したがって肉体的な清め祓いというより、むしろ、心の穢を取りのぞくことが大切なのです。形代で身を撫で息を吹きかけるのは、心の穢を追い出してしまうことを意味し、自分の穢を人形に移し、人形をわが身の代りにして清めてもらうのです。
形代は撫物、人形などとも呼んで、紙を人の形に切り抜いたものです。神社で受けた形代に、家中の者の氏名を書き、大祓の日、これを手に持ち、身を撫で、一家が、町が、そして日本の国が罪や穢のない、清く明るく正しい社会となるように願い、息を三度吹きかけて、神社に持参し、お祓いを受けます。
茅輪神事は、「ちのわしんじ」と訓みます。茅輪をくぐり越えて罪穢を除き、心身の清浄ならんことを祈祷するので、 「輪越祭」「茅輪くぐり」とも称します。茅とはち、かや、ちがや、であって、菅、薄など、多年生草木の総称になります。
茅輪の起源については、釈日本紀七に、備後風土記逸文を引用して、次のような事柄が記してあります。
即ち、神代の昔、武塔神(素戔鳴尊)が、南海の方へお出でになる途中、ある所でお泊りになろうとして、土民の蘇民将来、巨旦将来と言う兄弟に宿を求められた。
その時、弟の巨旦将来は、裕福な身であったにも拘らず、宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しい身ではあったが、尊をお泊し、 粟柄を似て座を設け、粟飯を饗して御待遇申し上げた。その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、
「若し天下に悪疫が流行した際には、ちがやを以て輪を作り、これを腰に著けてをれば免れるであろう。」と教え給うた。
この故事に基づき、蘇民将来と書いて、これを門口に張れば、災厄を免れるという信仰が生まれ、また祓の神事に茅輪を作って これをくぐり越えるようになったのです。