由緒・御祭神

由緒・御祭神

御祭神

応神天皇

第15代目の天皇。仲哀天皇と神功皇后との御子で皇后が新羅を討たれたのち筑紫でお誕生になりました。
御名は品陀和気の命、誉れ田別の尊。
生まれながらにして鞆の形をした肉が腕についてたから 大鞆和気の命とも言われています。
話では天皇は酒によって、大和から河内に超える大坂の道を 歩いていて、道の石を杖でたたくと石が走り去った。
「堅石はも、酔人を避く。」という諺は、それから始まったといいます。
後世には八幡宮をこの帝と同一視するに至っています。

神功皇后

記紀によれば神巧皇后の名はオキナガタラシヒメ
名のオキナガは近江の国坂田郡に息長の地名 があり息長氏との関係も説かれ、また長寿の意味があ ると言われています
タラシは尊称の一種とも考えられ、この語を含む天皇の名にはオホタラシヒコオシロワケ、タラシナカツヒコ・・・などがよく聞かれます。
神巧皇后説話とは一般に、
1.クマソ征伐の際の神託、2.新羅遠征、3.香坂王・忍熊王の反乱、4.気比大神参拝、5.酒楽歌等があります。

玉依姫命

玉依姫命は古典神話にはしばしば現れます。
その名を神聖な女性として祭っている社は全国に少なくありません。
玉依姫命の多くは、一種の処女懐胎、もしくは神の子の神秘な誕生を物語るものです。
また、神の憑依する巫女の呼称だと考えられています。
こうした玉依姫命の神の子誕生の話の多くは、単なる物語というより巫女が実際に神の妻として神婚、および若宮誕生の被疑に預かったことからも出ています。